

no title
Bon vivant vivantは「生きている」という意味。そこにbonが付いて「幸せに生きる」。 私はそんな言葉の意味を探っている途中です。本当は自分のお店を持ちたい。 これは、本当に小さな頃からの夢なのです。でもそれが簡単には叶わない。正しくは叶えていないという状況です。私の中での、お店を持つという意味が、自己満足としてだけではいけないと思うその葛藤からというのも大きな理由です。 いつも立ち止まってしまい、先へと進めていないのかもしれない。 のろのろとしていて、周りは歯がゆいかもしれない。 いろんなお店がある中で、お店の意味はなんだろうと考えてしまうのです。消費や利益のためだけのお店なんて絶対やりたくないし、ロスになった食材をためらいもなく捨てるようなお店なんて絶対に嫌だ。 私はいつか自分のためだけだけじゃない、開かれた形の誰かのためになりたい。 それが今は形にならなければと思う。いろんなお仕事の中に、少しずつ見つけている。 幸せに生きるとは、自分だけが幸せなのではダメなんだ。 でも幸せの形はひとそれぞれだし...などと堂々巡りなのだけれど


食べ物が与えてくれること
先日、娘の3歳の保育参観がありました。変装し、気付かれないように目隠しされた窓からそっと娘の保育園での生活の様子を見ました。 母としてではなく、人として、感動して帰って来ました。 それは昼食の時間のこと。 子供達がなんとも「楽しくて美味しい時間を、大好きな友達と先生と味わっていたこと」が伝わってきた。小さな子たちが今日の献立を楽しみにしながら、それぞれニコニコワクワクを表現し、友達の器を並べてあげたり、椅子に座っていても、食べたくて落ち着きがなくなったり、嬉しそうに踊りだしたり。そんな姿がなんとも自然で、人間らしく、そして楽しそうなんだ。食べている間も、友達と美味しいねと顔を見合わせたり、黙々と食べ続ける子、嫌いな食材に手が止まってしまう子、ゆっくり味わっている子と、本当に様々だった。 ただ食べるという、プリミティブな意味でだけでなく、こんな幼い時から、「人は食べることをこんなに楽しむのだな」と感じて、当たり前のことかもしれないが、まじかに見て改めて驚いた。私が変装して、覗き見のような感じで誰一人私に気づかずに、自然なありのままの、食事の風景を見


fondations-礎-
ずっと小さな頃から、父も母も古いものが好きで、家には古いものがあった。それを大切に直して使っていた。父は、器用な人で、なんでも自分で作るし、台所のものも、研いだり削ったり、差し替えたり、そんなことが当たり前の家庭でした。新しい電気製品なんてない、アナログな家庭で、話たちたちが巣立っても未だにそんな生活が続いています。私は覚えているエピソードとしては、私が大事にしていたおもちゃが壊れてしまい、悲しくて悲しくて泣きじゃくっていると、父が「かしてみな。」と言ってものの5分でささっと直してくれたことだ。ゴツくて分厚い父の手が魔法のように動き、元どおりに綺麗にしてくれた。私は、嬉しくて、その時のことをいまでも鮮明に覚えている。私の礎は、そんな小さな頃の、ありがたい環境にあり、それはいまでも大切にしています。ひょんなことで、思いもよらないことがあっても、また元に戻ればいいし、少しずつ自分で、また1からやり直せばいい。私は焦ったり、戸惑う性格なので、いつもそう言い聞かせているのも、そんな小さな頃に家族が教えてくれた大切な「教え」と思っています。 割ってしまった


実り多きケーキ
娘が3歳の誕生日を迎えた。生まれる前は、「早く会いたい」とずっと願って、生まれると、可愛い寝顔を見て「ゆっくりゆっくり成長していいんだからね」と思い、母親なんて勝手なものかもしれない。でもそんな勝手な母の願いなどには関係なく、あっという間に3歳を迎えてしまった。 まだ3年しか経っていないのに、娘は泣いて眠ることしかできなっかった、何もできない娘から、おトイレもご飯も、洋服も自分でできるどころか、私とおしゃべりして、ケラケラ笑ったりする。人の世話までするようになった。本当に不思議な気分になる。私は3年間でそんな目覚ましい成長できない。昔は、3歳まで生きるのが大変だった時代だったのだろう。無事にこの日を迎えれることができて、私は少し嬉しいような寂しいような。もう少し私に娘のお世話をさせてください。お願い... お祝いに、真っ白なケーキを。おじいちゃんおばあちゃんの実り多い畑から、イチジク、ハーブ、ウインターコスモスを摘んで、すぐに飾った。眩しいほどのケーキになった。 みんなでお祝いし、おめでとうと言った。